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『アナと雪の女王』

姉のエルサと妹のアナ、ふたりのプリンセスは大の仲良しだった。しかしエルサには秘密の力があり、その力でアナを傷つけてしまった日から、閉ざされた城の中で引き離されて成長する。

 

 1月に映画館の予告映像でエルサの「Let it go」 を目にし、日本公開日には真っ先に観に行った。

キャラクターはそれぞれ愛くるしく、映像やミュージカルナンバーには文句の付けどころがない。しかしながら正直に言ってしまうと物語そのものには少々肩すかしをくらうこととなった。

姉妹の物語を期待して観に行った上、自分が二人姉妹の姉という立場であることからエルサに感情移入してみようとしたのが間違いだったのかもしれない。

物語の主人公はアナであり、エルサは主人公の姉であるが、彼女の存在はは最初から最後まで物語を彩る美しい飾りでしかないと感じたのだった。

はじめて予告で観た「Let it go」で、エルサは持てる魔法の力を最大限に開放し、芸術的に美しい氷の城を創造し、朝日を浴びてすこし自嘲気味に微笑み、それは清々しくも複雑なシーンであるかに思えた。

しかしいざ物語の流れの中でみると、もちろん歌詞の意味の通りに「これでいいの、かまわない、なにを言われようとも」という解放のシーンでもあるのだが、どちらかというと捨て鉢でせいせいとしたという思いを吐露している面のほうが際立って感じられた。

ようするに、観る前に思い込んでいたよりも、エルサは精神的に幼いキャラクターだったのだ。

エルサがどの程度の引きこもりだったのか想像するしかないのだが、新しく誰かに出会うこともなく、アナと向き合う機会もなく、自分を成長させる要素がかけらもない生活を送ってきた彼女は、見た目は美しい女性だが心は不安定な少女のまま戴冠式の日を迎えたのだろう。

ここで考えてしまうのは、娘の持つ魔法の力を覆い隠すように城を閉ざした両親の方針だ。彼らはエルサに力をコントロールさせるといって、具体的にはおそらく何も出来ていなかったのではないか。心がゆれうごく思春期を平静な日常の中でやりすごし、大人になる日を待っていたのではないだろか。と思われるのである。

愛情深い善良な親が間違いを犯さないわけではないし、そのことが物語の瑕疵となるとも限らないのだが、この場合せめて危険な海の旅に出る前に、外の世界を知らない娘たちに、少なくとも自分の力に怯えているエルサに、何か意味のあることを言ってやることはできなかったのだろうか。

この先の物語の伏線の一つとしても、そういう重要なシークエンスがあったらどんなに良かっただろう。この両親が船旅に出たまま帰らぬ人となってしまう理不尽さといったら、このあとの展開と比べてもあまりにも残酷である。

アナは明るく行動的で健気な少女だが、物語の終盤まで求めることしか知らぬ子供であった。彼女が自分から姉に愛を与えることによって凍える冬が終わりを迎えるのだ。

それでも、アナが姉を愛していることは終始明白だし、エルサがアナの身を案じ心を閉ざすしかない気持ちもきちんと読み取れる。後半の予定調和はスピーディですらある。エルサの心境の変化にせめてもうひとひねり。アナの愛以外の要因がほんの少しでも作用していたらなあ…というのが観終わった後一番に思ったこと。 

 

最後にオラフが雪雲をもらって夏を満喫している姿には和んだ。

 


『アナと雪の女王』あこがれの夏/オラフ(ピエール瀧) - YouTube